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長野地方裁判所 昭和39年(行ウ)10号 中間判決 1965年4月13日

原告 飯田衣料株式会社

被告 飯田税務署長

訴訟代理人 新井旦幸 外三名

主文

被告の本案前の抗弁を却下する。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

被告は「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決、原告は主文同旨の判決。

第二、被告の本案前の抗弁

本件各更正決定および徴収決定の取消を求める訴は、行政事件訴訟法第一四条第一項、第四項により審査請求に対する裁決があつたことを知つた日から三ケ月以内に提起しなければならないところ、原告は同三九年五月二五日、右各裁決の送達を受けこれを了知しながらその後三ケ月以内に訴を提起せず、出訴期間を徒過した昭和三九年九月一四日に至り本訴を提起したものであるから、本件訴はいずれも不適法として却下されるべきである。

第三、被告の本案前の抗弁に対する原告の答弁

本件審査請求に対する裁決通知書三通が被告主張のとおり昭和三九年五月二五日書留郵便により原告会社に送達されたことは認めるが、これを受領した原告会社の事務員訴外林静は、多忙の故もあつてそれを原告会社代表者に手渡すことなく失念しそのまま保管していたため、原告会社代表者は昭和三九年九月一〇日至り、はじめて右通知を知つたのである。従つて原告会社は昭和三九年五月二五日にこれを知つたものではなく、前同日これを知つたものというべく、本訴はそのときから三ケ月以内に提起したものであるから適法な訴というべきである。

第四、証拠関係<省略>

理由

本件審査請求に対する棄却決定の裁決書の謄本三通が書留郵便で昭和三九年五月二五日原告会社に送達されたことは当事者間に争がなく、また本件訴が同年九月四日当裁判所に提起されたものであることは、本件記録により明かである。

行政事件訴訟法第一四条第一項、第四項によれば本件訴は裁決のあつたことを知つた日から三ケ月以内に提起しなければならないところ、同条にいう処分のあつたことを知つた日とは当事者が書類の交付、口頭の告知その他の方法により処分の存在を現実に知つた日を指すものであつて、抽象的な知り得べかりし日を意味するものでないと解するを相当とする。ところで、証人林静の証言、原告代表者本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すれば、原告会社はその代表者小沢峰男が経営していた衣料品の卸売販売業を会社組織とし、昭和三二年二月一七日頃に設立されたいわゆる個人会社というべき株式会社であって、内勤四名、外勤数名の雇人を使用していたが、その設立の経過からして、当時は会社の取引、経理等に関する重要事項はほとんど社長が一人で掌埋しており内勤の事務員は単に文書の発送受領および取引先との、連絡等の事務を担当し、外勤者は商品の販売運送等の外部連の取引事務を担当し、いずれも本件課税に関する処分を理解しこれに対して適切な処置をなしうべき地位になかつたことが認められるのであつて、このような会社にあつては、会社が本件処分を知つたというがためには、代表者自身が現実にこれを知つたことを要するといわなければならない。もつとも処分を記載した書類が当事者の住所に送達される等のことがあつて、社会通念上処分のあつたことは当事者の知り得べき状態に置かれたときは、反証のない限り、その処分のあつたことを知つたものと推定すべきであるから、原告においても代表者がこれを知りうべき状態にあつたならば、かく推定することができるけれど、もし代表者がその現実にその処分を知らなかつたという事実が認められる以上、裁決書が会社に配達された一事をもつて、会社がその処分を知つたものと推認することはできない。そこで、この点について考えるのに、成立に争のない甲第一号証の一・二、第二ないし第五号証、第六号証の一ないし三、乙第一号証、証人林静の証言、原告代表者本人尋問の結果、弁論の全趣旨を綜合すれば以下の事実を認めることができる。

本件棄却決定の裁決書謄本三通は前記のとおり書留郵便で昭和三九年五月二五日原告会社に配達され、同会社事務員林静が受領した。ところで、原告会社においては、同会社あての郵便物は林静他三名の内勤社員が受領し、そのうち重要書類については直接代表取締役に手渡すが、その被見に供するため原告会社の事務所に備付けてある状差しに入れておき、自から開封することはなく、明らかに日常の取引書と認められるものについてのみ開封して係の事務員に渡す方法をとつていた。ところが、本件裁決書三通については、受領した林が当時多忙のためこれをそのまま自己の事務机の抽出の中に入れて失念し、代表取締役に渡しもせず、右状差しに入れもせずに経過した。そのため、代表取締役小沢峰男は右林が受領した当時このことを全く知らずに過ごし、昭和三九年九月一〇日に至りたまたま別件の課税に関する訴訟についての必要書類を捜すため、右林の机の抽出の中を調べたとき右裁決書三通の入つていた封書を発見し、その処分のあつたことを知つた。同人は本件処分については常に強い関心をもち、昭和三五年八月一日再調査請求を棄却されると、同月二五日付で関東信越国税局長に対し右棄却決定に対する審査請求をなすとともに、弁護士林百郎を介して昭和三六年一月二七日被告に対し前記更正快定、徴収決定に関してその理由をただす一方、その後これに対する裁決が遅れていたため、同年六月七日および翌三七年三月二七日の二回にわたりその処理状況について照会を求めるなどして右審査請求が棄却されたならば直ちに行政訴訟を提起するこころづもりをしていた。そこで、同人はその処分を知るや直ちにその受領につき原告会社の事務員に問いただすとともに、郵便局に問合せる一方、林弁護士にその取消訴訟の提起について相談し、事務員の林が右封筒を受領したまま放置していた事情が明らかとなつたので、昭和三九年九月一四日本件訴を提起するに至つたものである。

以上の事実が認められるのであつて、右認定に反する証拠はない。

ところで、右認定の事実によつてみると、本件裁決書三通は原告会社に送達されたけれども、その後昭和三九年九月一〇日原告会社代表取締役小沢峰男がこれを発見するまで単に郵便物を受領する権限を有するに過ぎない事務員のもとにまぎれ込んでその間それ以外の者がこれを了知した事情は認められないのであるから、このような事情のもとにおいてはいまだ原告会社において右裁決のあつたことを知つたものということは困難であり、原告会社は代表取締役が本件裁決を知つた昭和三九年九日一〇日初めてこれを知つたものというべきである。そして、本件訴が同日より三月以内、裁決の日から一年以内に提起されたことは明らかであるから本件訴は出訴期間を遵守した適法な訴えということがである。

よつて、被告の抗弁は理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中隆 千種秀夫 福永政彦)

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